もうすぐ父が死ぬ。

もうすぐ父が死ぬ。

もう、何年も前から分かっていた事なのに、つらい。

苦しみながら、弟の目を見つめ、まだ死ぬわけにはいかん!と言った父。

継続鎮静を拒み、最後まで必死に呼吸を続けながら、かすれ声で、ごめんな、ごめんな、と言った父。

父は声帯がないので、声を出すことができない。
15年前に喉頭癌を患い、喉頭全摘しているのだ。
呼吸は鼻や口ではなく、喉に開けた穴からしている。気管切開というやつだ。

父は若い頃から音楽に親しみ、大学では合唱部に所属していた。
とても歌が好きだった。
なので声を失った時は、どれほど辛かったことか。

それでも明るく前向きだった。
気管切開の穴から呼気をフッと吹き掛けて、飼い犬を脅かして遊んだりもしていた。

転移もなく、無事に全快。
父は癌に勝ったのだ。

しかし、今度は勝てなかった。

特発性間質性肺炎
肺の細胞が変質してしまい、機能しなくなってしまうこの病。

癌は治せる病気になってきた。
特発性間質性肺炎は治す方法がない。

5年前、風邪をきっかけとした急性増悪で呼吸困難となり、おかしな言い方かもしれないが、この急性増悪によって、間質性肺炎であることに初めて気がついたのだ。

この時も、家族は死を覚悟したが、ステロイドのパルス療法で、なんとか持ちなおした。

しかし、この病気はじわじわと、確実に進行する。
父は余生に入ったのだ。

それでもやはり前向きだった。
急性増悪から5年も生きた。
呼吸器内科の先生は、奇跡に近いと言う。
父は、あと5年、生きるつもりだった。

奇跡は起こらなかった。
父は今、病室で昏睡状態だ。

5年間、父はもう死ぬのだと、常に自分に言い聞かせてきた。
この病気の最期は、穏やかとは言えない。
きっと、とても苦しむ父を見る事になるだろう。
耐えられるのだろうかと、怯えていた。

父もきっと、怯えていたのではないか。
病気は違えど、呼吸不全で亡くなった父親を看取っているのだ。
随分まえだが、親父は苦しそうだったな、と呟いていた事があった。

意識を失うまで、懸命に呼吸を続けた父の顔に、怯えは無かったような気がする。
苦しくて、それどころじゃなかったのだろうけど。

皮肉な話だが、喉頭全摘をして、気管切開をしていたおかげで、食事や会話(口パクだが、少し音がある)で呼吸が乱れる事がなく、タンの吸引も、鼻ではなく切開された穴からできたので、このおかげで、少し時間が伸ばせたのかもしれない。

特に、呼吸を気にせずに食事を取れたのが、良かったと思う。

病院で、まだ父は生きてる。
意思の疎通はできないけれど。

実家に帰れば、いつものソファーの定位置で、父がニコニコ座って待っているのではないか。

まだとても、父の死を受け入れる事ができない。